2013年8月29日木曜日

藤岡市助 日本のエジソン

藤岡市助(1857~1918年)は、山口県岩国市出身で、白熱電灯の国産化や電気鉄道の敷設に取り組み、東芝の前身の白熱電灯製造会社「白熱舎」を創設した。市助は「日本のエジソン」と呼ばれている。

市助は、明治17年(1884年)、フィラデルフィア万博の際、発明王エジソンの研究室を訪問。エジソンから「どんなに電力が豊富でも、電気器具を輸入するようでは国は滅びる。まず電気器具の製造から手がけ、日本を自給自足の国にしなさい」と励まされる。

帰国後、明治19年(1886年)、市助の提言により「東京電燈」(東京電力株式会社の前身)が開業。いよいよ日本でも電気時代が到来した。明治23年(1890年)には、同じ岩国出身の三吉正一と共同で「白熱舎」を創設し、本格的な電球製造に着手する。

明治17年アメリカ外遊の際手に入れた電車を自ら改良するべく新たに設計。明治23年「第三回内国勧業博覧会」でレールを敷設。これが、我が国最初の路面電車が走った瞬間。

明治44年には、タングステン電球「マツダランプ」を発売。安価で丈夫な国産電球が普及する。その後、東京電気の技術者により、現在の白熱電球が完成。東京電気は、昭和14年、田中久重が興した会社の流れをくむ「芝浦製作所」と合併。 総合電気メーカー「東京芝浦電気」が誕生する。のちの東芝である。(参考HP



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