司馬遷の『史記』によると、紀元前3世紀ころ、中国の徐福が、秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の霊薬を求めて日本に来た。ある日「湯の神」が目の前に現われ、徐福に向かって「この山中の西北あたりに、黄金の霊が湯となって湧出するところがある。」と告げた。徐福一行が、お告げにしたがって行ってみたところ、温泉を発見した。これが、古湯温泉の発見となった。
しかし、元禄の大地震で城山が崩れ、温泉が塞がってしまった。それから88年を経た寛政3年、古湯村の住人稲口三右衛門が、小田の水道に鶴が脛を浴して数日の間に傷が癒えて飛び去ったところを目撃した。右衛門は、この出来事を不思議に思い、鍬を携えて辺りを掘ったところ、温泉が湧き出てきた。この温泉を「鶴の湯」と呼び、後に「鶴霊温泉」と名付けた。