「回天」は、太平洋戦争末期に魚雷を改造して人間が乗り込み、相手の艦船に体当たりした特攻兵器で、搭乗員や整備員など145人が命を落とした。1944年(昭和19年)9月、試験発射場のあった大津島に回天基地が開設され、全国から多くの若者たちが集まってきた。九三式魚雷(全長8.5メートル)を改良し、操縦席と大量の爆薬が装備された。回天は潜水艦に最大6基まで搭載できた。ハッチが閉まると、操縦する以外は身動きが取れないほどの空間であった。搭乗員は1名のみ。回天に乗って片道で出撃した人の平均年齢は21.1歳の若者であった。
大津島には現在、回天記念館があり、「回天」に関わる遺品・資料の展示を中心に回天の歴史や時代の背景、当時の生活などをパネル展示で紹介している。