2014年5月19日月曜日

訃報:岩国出身 大関「魁傑」逝く

山口県岩国市出身、元大関魁傑(かいけつ)、元放駒(はなれごま)親方のの西森輝門(にしもりてるゆき)さんが18日、死去した。66歳だった。

報道よると、18日午後、東京都内のゴルフ場で練習中に倒れ、救急搬送される途中に息を引き取ったという。

魁傑は、日本大学を中退して大相撲の花籠部屋に入門した。1966年秋場所で初土俵、輪島、貴ノ花とともに所属部屋の所在地にちなみ「阿佐ケ谷トリオ」と呼ばれて活躍した。

序ノ口から通算937回の土俵は1度も休まず、「休場は試合放棄だ」との名言を残す、誠実な土俵態度ときまじめな性格だった。

74年九州場所で北の湖との決定戦を制して初優勝。75年初場所後に大関に昇進した。だが、2場所連続で負け越し、大関から陥落。更に三役からも陥落したが、好成績を続けて77年初場所後に大関に復帰。平幕まで落ちてから大関に復帰した唯一の力士だった。

幕内在位45場所で優勝2度、殊勲賞2度、敢闘賞7度、技能賞1度。79年に引退後は放駒部屋をおこし、横綱大乃国らを育てた。

2010年に、相撲協会理事長に就任した。在任中の11年2月に発覚した力士らによる八百長問題で、同年の春場所の中止と技量審査の夏場所の無料公開に踏み切ったのは、記憶に新しい。

魁傑





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